木の葉天目について



木葉天目は、陶器の表面のガラス質になっている部分の釉(うわぐすり)の上に、「木の葉」そのものを直接焼き込んで模様としたものです。窯のなかで木の葉が燃えて灰となり、その灰が釉に熔け込んで釉質が変わるために、当然その部分の発色も変化して木の葉の模様となります。
したがって、陶土面に木の葉を押しつけて葉形をつけたり、木の葉に別種の釉を塗りつけたものを陶器面に貼って焼き上げたものは木葉天目ではありません。
「木葉天目」の「天目」とは、むかし遣唐使が中国に渡って、浙江省の南西部と福建省の北西部の境付近にある天目山の僧院に入山して修行し、帰国するときにそこの仏器を土産に持ちかえりましたが、その仏器の特徴的な「器形」や「釉」を指していいます。
「天目」という言葉は日本で使われる言葉で、「天目茶碗」とか「黒天目釉」などと使われます。単に「木葉天目」というと、この技術を用いて制作された陶器を指したり、この技術そのものを意味します。
「天目釉」は、基本的には長石に木灰をまぜ、これに発色剤として鉄錆を加えたもので、一般的には温黒色です。これを中国では「黒釉」といいますが、日本では「黒天目釉」といいます。
中国の宋の時代に王侯貴族の茶会ではよく闘茶がおこなわれ、そのゲームの都合上黒い茶碗が珍重されて、木葉天目茶碗にも黒釉が用いられました。中国では木葉天目茶碗を「黒釉葉文盞」といいます。
「木葉天目」は中国の宋の時代に江西省永和鎮吉州窯で茶碗として焼かれましたが、宋王朝の滅亡とともにその技術も滅亡し、「幻の技術」とされたまま現代に至りました。北宋後期(1100年代)の茶会記にこのような茶碗が使用された記録はありますが、製法や技術についての文献資料はまったくなく、わづかな発掘品しか現存していません。
1975年9月東京で中国陶磁名品展(安宅コレクション、現東洋陶磁美術館蔵)が開催された際、展示されていた重要文化財指定の木葉天目茶碗に私は深い関心を持ち、さっそくその再現の研究に着手しました。当時はまったく不可能視されていた幻の技術の再現研究なので、東京国立博物館に通ってガラス越しに展示品を観察しては、暗中模索を反復する以外に方法はありませんでしたが、1980年1月独自に再現することに成功しました。
 宋の時代から千年以上も経過した現代人としては、当然当時の技術を凌駕しなければならないという観点から、その後もさらに研究を重ね、

1981年秋には、一作品上に多数枚の葉を焼き付ける技術を確立し、

1982年秋には、類例のないほどに葉脈を精細に焼き付けることに成功し、

1984年秋には、多数枚の葉に濃淡をつけて焼き上げる技術を開発し

1994年秋には、木の葉を代赭色に焼き付ける技術を完成し、

1995年秋には、立体作品の垂直側面(壷の横腹部分)に木の葉を焼き付けることにもほぼ成功しました。

1982年秋以降、木葉天目の分野において他に追随をゆるさない域に達し、経歴につぎの業績を付加するに至りました。



1990年11月中国工技美術委員会副理事長顧驍氏の招待をうけ、江南地域の陶業地を巡訪する。
1994年11月財団法人土屋文化振興財団賞を受賞する。
1995年 5月市川市教育委員会ならびに財団法人土屋文化振興財団の後援により市川市文化会館において「木葉天目特別展」を開催する。
1996年 3月台湾国立国父紀念館ならびに中華学術文教基金会の連合挙弁により国立国父紀念館翠享芸廊において「木葉天目展」を開催する。
1996年 3月木葉天目大皿「向天T」を国立国父紀念館に永久収蔵される。



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